セコライフ! - 障害福祉と音楽と何かと -

障害福祉の業界で働くぼくが考える医療福祉論から仕事の枠を超えた活動や好きな音楽まで幅広く発信。

福祉ってやつ?

Sekoです。最近全然更新していない。反省。
さて、今回は最近関わっているプロジェクトについて書きます。
 
--
 
■■ミーツ・ザ・福祉プロジェクト
 
5月17日と21日の2日間(内容は同じ)、尼崎市で長年にわたって行われてきた「市民福祉のつどい」についてみんなで考えてみよう!というワークショップ「ミーツ・ザ・福祉」を開催します。
 
先日「ミーツ・ザ・福祉」の打合せで、耳の聞こえない人と聞こえる人が同じチームを組み、対話を含んだワークショップをするにはどのような配慮が必要かどうかを議論し、アイディアを出し、そのアイディアをその場で実験しました。難しい。納得のいくシステムになかなか行き着くことができない。
 
参加者対講演者の対面型であれば、ステージ横に手話通訳者を置いたり、要約筆記を映し出したりするのが一般的ですが、ワークショップでの配慮となると別の工夫が必要です。対話が飛び交うワークショップの場において、耳の聞こえない人が置いてけぼりにされず、みんなが対話に参加し、場を共有できる工夫を。
 
1つのシステムを生み出し、ロールプレイし、あれやこれやと振り返り、システムを修正していく。そのプロセスが「福祉にミーツしている!」し、障害のある人とない人が一緒のグループでワークショップをし、話し合うことが「福祉にミーツしている」ことになるし、その先の「福祉をシンクする」ことの気付きになるし、「福祉が身近に」の第一歩になりえます。
 
■■みんなを意識すると、なんかぼやけてしまう
 
同じ時間を共有している全員が完璧な快を得られるなんてできない。1人ひとり心地よさを感じるポイントは違う。誰かの快は誰かの不快で、誰かの不快は誰かの快。ほどほどの快をみんなが享受するのが僕は好きだなぁ。Aさんの不快をどうすれば心地良くできるか、Bさんの困りごとをどうすれば解決できるかを考えていく繰り返しが集合体となり、みんなを形成していく。特定の個を抜きで、みんなだけを意識したらぼやけてしまうから。ミーツ・ザ・福祉プロジェクトを通じて、概念や考え、常識をRE:捉えしています。ああ、素敵な場。
 
--
 
日常の1コマを丁寧に切り取り、ブログに残していこう。無理なく。

第10回「友達、ともだち、TOMODACHI」

f:id:sekoguchi1103:20170310091011p:plain

 
ども、Sekoです!
岡本太郎のエッセイを読み、価値観のスライドを強制され、やる気だけみなぎっています。
 
僕はいまの仕事に就くまで、障害者とどう接したらいいかわかりませんでした。
 
就職活動に軒並み失敗し、自暴自棄に陥ったぼくは、何となく福祉の仕事を探し、何となく障害分野を選び、何となくいま働いている法人をリクルートサイトで見つけ、何となく説明会に参加しました。その説明会でお聞きした理念や活動に共感したのと、実習で出会った脳性マヒのおっちゃんが大好きになったのと、親の会社に就職したくなかったという理由で、いまの法人で働くことになりました。
 
働き出して数日後、重度といわれている知的障害の人と一緒に10間くらい外出するおしごとをしました。彼の意思と実際の行動の相違を表現する彼の方法は「痰を吐くこと・叫び声を出すこと・自分の頭を叩くこと」が中心で、自分の常識をはるかに超えた状況を体験しました。カルチャーショックを感じたし、このおしごとに就いたことを少し後悔しました。マジヤッテイケルノカボク、と。
 
その数日後、気管切開をし、人工呼吸器を使用しながら1人暮らしをしている人の入浴介護をしました。入浴の際は手動式人工呼吸器(アンビューバック)に付け替え、1人がアンビューバックを押しつつ上半身を抱え、もう1人は下半身を抱え、入浴用ストレッチャーに移乗し、1人がアンビューバックを押し、もう1人は身体を洗っていきます。これもびっくりしたし、少しのミスが生命の危機にかかってくるという怖さを猛烈に感じたのを覚えています。マジヤッテイケルノカボク、と。
 
最初はやっぱり障害者とどう接したらいいかわかりませんでした。
 
でも数日、数ヶ月、数年と重ねるごとに、たくさんの障害者と出会い、知り合い、過ごし、仲良くなっていきました。
 
そういうプロセスを経ることで、少しずつ障害者とどう接したらいいかわかってきました。
 
障害のことを知らない→知っている
障害者のことなんて関係ない→関係がある
僕の生活において障害者を意識しない→意識する

そして、障害なんか全く関係なくなるくらい、1人の障害者と個人と個人の付き合いをし、友達になったことで、障害者とどう接したらいいかわかるようになりました。っていったらおこがましいし、(差別的になっちゃうけど)障害があるけど障害を意識しなくなるというか。障害関係なしに、好きな人だから仲良くなる、苦手な人だから仲良くならない、そんな関係性を築けるようになりました。

バリアフリーユニバーサルデザインの推進普及方策に関する調査研究 - II バリアフリー化推進に関する国民意識調査について」という文献に載っていましたが、高齢者・障害者を手助けしない理由のほとんどが「かえって相手の迷惑になると思う」と「手助けしても対応方法が分からない」でした。これは接する機会がない、知る機会がないからなんじゃないかな。
 
障害者のことを知らない→知っている
障害者のことなんて関係ない→関係がある
生活のなかで障害者を意識しない→意識する

上記の意識転換が自然とできるイベントが3/20()に横浜で開催します。その名も「WellCON2.0」!お酒飲んで、ピヤピヤし楽しみながら、価値観のスライドを体感してください!

 

--WellCON2.0詳細--

テーマ :

「集まれ!FanFunFan 

 

FBイベントページ

https://www.facebook.com/events/215124872293496/

 

日時:2017320(月・祝)
OPEN
14:00受付開始 START14:30 CLOSE17:30

 

会場:Bukatsudo
http://bukatsu-do.jp/
横浜市西区みなとみらい2丁目2番1号 ランドマークプラザ 地下1階
みなとみらい線「みなとみらい」駅徒歩3分、JR市営地下鉄「桜木町」駅徒歩5分

 

トークゲスト:(50音順)
*赤荻 聡子
心臓病の子どもと家族の集い「こぐまハートクラブ」代表
「横浜こぐま園」副代表
8
歳と4歳の娘の母
次女が重度の心臓病、左心低形成症候群

 

*加藤 さくら
こころのバリアフリーリエータ
(講演会、講座、執筆活動、商品開発、バリアフリー事業)
患者家族会『ふくやまっこ家族の会』の立ち上げスタッフ
日本メンタルヘルス協会 心理カウンセラー
親業訓練協会 公認インストラクター
著書:えがおの宝物』(光文社)
出演: 24時間テレビ愛は地球を救う『おひるねアートでひと夏の大冒険』、ドキュメンタリー映画えがおのローソク』
夫、9歳と6歳の娘の4人家族
次女が福山型先天性筋ジストロフィー

 

*佐藤 まゆ子
慢性疲労症候群患者、患者支援団体 Action for ME/CFS Japan 共同代表
出演:TV東京 ザ・ドキュメンタリー「難病女子の闘い」

 

■MC:金井 敦司(NPO法人Ubdobe 関東副支部)

 

定員:80名(要予約)

 

参加費: 3,000円(FOOD & DRINK付)
学生割引:受付にて学生証提示で500OFF
学割をご希望の方は、ご予約の際にお申し出ください。

 

お申し込みはこちら
<予約受付メール>  kanto@ubdobe.jp 
件名:Well CON 横浜
本文:
お名前
ご職業(例:特養で介護ヘルパー/循環器科で看護師/◯◯福祉専門学校)
ご連絡先(TEL / MAIL
上記内容をご記入の上、予約受付メールアドレスに送信してください。

 

主催:NPO法人Ubdobeウブドベ)
 

 

--

 

 

最後まで読んでくれたあなた、本当にありがとうございます!

僕が影響を受けた言葉を1つ紹介し、ブログを終わりたいと思います。

 

「いますぐハードを変えられなくても、ハートはすぐに変えられます」

垣内 俊哉/株式会社ミライロ 代表取締役社長
 
この言葉を常に胸に持ちつつ、心のバリアフリーを発信しています!あとは実践。困ってそうな人がまちなかにいたら「May I help you?」と言っています!

第9回「だから、もっと福祉の外へ」

ども、Sekoです!

 

井の中の蛙になってはいけない。もっと福祉の外側へ発信しなければいけない」と実感した出来事が最近ありました。

梅田のグランフロントにある、異業種が集まる登録制サロンの利用面接に先日行ってきました。面接では、僕が働く法人の事業内容や理念、僕が考える障害福祉観や仕事以外の活動について幅広く質問されました。法人のことを聞かれたときに、僕はいつものように、障害者支援を通して、豊中市を障害者が暮らしやすい地域にしていくのと同時に、あらゆる人の「らしさ」があふれる社会にしていく活動をしています、という回答を皮切りに、事業内容や理念をお伝えしました。

僕の説明に対して面接官は言いました。
「社会へ/地域へ/外へ、障害者を全員出していくのはよく分からない。障害者の中には、外にあまり出たくない人はいるし、施設で暮らしたい人もいるだろう。例えば、僕の祖母は寝たきりで車椅子生活、障害者手帳を取得している。彼女は外に出たくないといつも言っている。もし出たくないという人がいたら、君はどうするの?出たくないと言っている人を無理矢理外に出していくのはよくないと僕は思っている」

僕は反論しました。
「いや、そうじゃないです。無理矢理外に出していくのではありません。あくまで選択肢をつくり、選択は1人ひとりに委ねるのです。「好きなアーティストのライブを見たい」「生まれ育ったところで、1人暮らしがしたい」という意思表示がある障害者がいたら、その思いをすぐに実行できる環境をつくっていく、という意味でサポネの活動を紹介しました。だから、障害者が暮らしやすい地域に=障害者が必ずしも積極的に地域に関わらなければいけない、ということではない。1人ひとり違う。みんな違ってみんないい。色んな人が共生し、1人ひとりの「らしさ」が表現できる社会にしたいです」

このようなディスカッションを繰り返し、僕は障害福祉を発信し、面接官は障害福祉を理解しました。障害福祉に関わる人に法人の説明をすると、理解をすぐ示していただくことが多くありました。おそらく障害福祉に対し、ある程度の知識や経験があるからだと思います。しかし、今回のように異業種の人には伝わりません。抽象的に説明するのではなく、きちんと伝えなければいけません。

分かりやすい言葉で、きちんと順路立ててロジックに説得力のある文章で伝えなければいけない。そうしないと、理解を得ることはできない。そう実感した出来事でした。

福祉職に対して発信し、福祉職だけで集まることは大切ですが、異業種に対して発信し、異業種のなかに福祉職が飛び込むことも同じくらい大切です。介護や福祉に携わる1人ひとりが「発信」という武器を身に付けていき、外部に発信をしていくことで、介護や福祉のイメージを変えていけるでしょう。「井の中の蛙になってはいけない。もっと福祉の外側に発信しなければいけない」 ぼくは実践し続けます。

第8回「思いやりが"できない"を”できる”に変えていく」

ども、Sekoです。

第7回「サービス化以前の思いやり」 の続きです。

 

脳性マヒの人と一緒に行った東京旅行ではハプニングがあり、楽しみにしていたライブが見れなくなるかもしれませんでした。そのピンチを救ってくれたのは…。今回は「サービス化以前の思いやり」を感じた体験談を紹介します。

数年前、電動車イスに乗る脳性マヒの人と一緒に、日本を代表するフォークシンガー友部正人のライブを観に、東京へ行きました。会場となるライブハウスに「こういう障害があり、電動車イスに乗っているが、入店可能でしょうか」と事前に連絡を入れ、入店可能と確認をしていました。しかし、ライブハウスへ到着してみると、ライブハウスはバリアフル。ライブハウスに入るには、急勾配な数十段の階段を下りなければいけません。エレベーターはない。彼は怒りを通り越したあきれた表情を浮かべながら、事前に入店可能と確認した旨をスタッフに説明しました。

「僕らが持ち上げるから車イスでも入れますよ。だから入店可能と電話で伝えました」とスタッフは返答し、総重量300kgに達する電動車イスに乗った彼をスタッフ6人掛かりで持ち上げ、1段1段ゆっくりと階段を下り、無事にライブハウスに入ることができました。

東京までライブを観に行ったのにライブを見ることができないというピンチを救ってくれたのは、ライブハウススタッフの「サービス化以前の思いやり」でした。


ライブハウスに入ってからも、車イススペースを作ってくれたり、ドリンクを頼んだら「ストローいるよね」と言ってくれたり、「彼にはどういうことに配慮したらいいのか」と想像し、その配慮が必要と決めつけて提供するのではなく、その配慮が必要かどうかを提案してくれました。でも障害があるからといって、普通のサービスが享受できるようにする配慮以外は特別なサービスはなく、特別な客として接するのではなく、あくまでも普通の客として接してくれました。

彼らの意識のなかに福祉の考えが無意識に溶け込んでいました。サービスを受けている側が福祉っぽさを感じないくらい、彼らはごく自然にサービスのなかに福祉を取り入れていました。福祉が自然に溶け込んでいるサービスこそ「サービス化以前の思いやり」ではないでしょうか。

ライブを見るようにするには何をしたらいいのか/黒板が見えるようにするにはどうしたらいいのかを想像し、提案。そして提供。車イスを持ち上げ、階段を降りたからライブを見ることができた/黒板が見える位置に席を移動したから黒板の文字が見ることができた。

障害があるからできないだろうと考えることは、社会が障害をつくっていると置き換えることができます。その考えをぶち壊すのが「サービス化以前の思いやり」。障害があるから「できない」を障害があっても「できる」に変えていくべきで、社会が障害をつくるのではなく、社会が障害をなくす存在に変化していかなければいけません。私たち1人ひとりが「サービス化以前の思いやり」を持つことが、その変化をもたらすきっかけとなるでしょう。

第7回「サービス化以前の思いやり」

僕は医療福祉トークイベント「WellCON」を企画しています。今回は10月に開催したそのイベントで感じたことを書きます。

f:id:sekoguchi1103:20170120102830j:plain

「障害があっても学びたいことが学べる」ように障害学生をサポートするサービスを立ち上げ、展開している人をゲストに迎え、主力サービスである「要約筆記者派遣」を中心に、新しく事業を立ち上げ、展開していくしんどさや苦悩、嬉しさややりがいをありのままに伝えるようなトークを展開しました。

 

ゲストトークを終えた後、参加者数人からゲストに対して質問がありましたが、1つの質問に違和感を覚えました。質問者は、中学生の車椅子ユーザー。彼は「学校の授業で、黒板の文字が見えない。これを解消するサービスはありませんか」と質問しました。僕は頭の中が「?」でいっぱいになりました。

 

まず、黒板が見えないのであれば、見えない理由を考え、見えない理由を解消するために環境を変えたり、整えたりし、黒板が見えるようにします。これらを行い、学べる環境をつくることで、授業に参加している状態になっていると「はじめて」捉えることができます。

 

例えば、耳が聞こえない学生は、先生が何を話しているのか分かりません。このバリアを解消する1つの手段が「要約筆記」。要約筆記を使用することで、先生が何を話しているのかを文字として伝わり、授業に参加できることができます。目が見えない学生は、教科書を読むことができません。このバリアを解消する1つの手段が「点字の教科書」。点字の教科書を使用することで、教科書を読むことができ、授業に参加することができます。

 

例にも挙げた通り、「できない」を「できる」に変える環境をつくり、環境を維持していくのにヒトやモノが必要である場合、サービスやプロダクトが生まれます。しかし、中学生の彼が伝えてくれた質問の内容はサービス化以前の段階です。学校の先生や友達が彼のことを考え、「見えない」をつくってしまっているバリアに向き合い、どのようなことに配慮したらバリアを解消し、黒板の文字が見えることができるかを考え、そのアイディアを実行すれば、彼が困っている「黒板の文字が見えない」を「黒板の文字が見える」に変え、授業に参加することができます。例えば、彼が座る席を前にしたり、見える位置にしたりし、文字が見えるよう配慮したら、バリアはすぐに解消し、彼は問題なく授業に参加することができます。

 

今回はサービス化以前の思いやりの段階です。サービスにする事象ではなく、少しの思いやりが解消できることです。

第6回「障害があっても、学びたいことが学べるようにしたい」

f:id:sekoguchi1103:20170119061133j:plain

「障害があっても学びたいことが学べるようにしたい」

こう熱く語ったのは、「NPO法人ゆに」事務局長代理の窪埼泰紀さん。彼は障害があっても学べる環境を創ることを目指し、障害学生支援サービスを立ち上げました。

 

僕は「暮らしの面」から障害福祉にアプローチをし、障害があっても暮らしたいように暮らせるようにサポートしていくサービスを行い、彼は「教育の面」から障害福祉にアプローチし、障害があっても学びたいことが学べるようにサポートしていくサービスを行っています。

 

障害といっても様々な種類が存在します。

耳が聞こえない、手足が動かない、目が見えない、知能に遅れがある、心が不安定…。

同じ障害であっても、障害の程度は様々で、どういうところに困っているのかは人それぞれ違います。

 

でも障害者だからではなく、あらゆる人が何かしら困っていることを抱えています。みんな違ってみんないい。桜梅桃李。だからこそ、あらゆる人が特別な存在ではなく、障害があっても、困りごとがあっても、あらゆる人が共存/共生している社会。それが僕の理想とする社会。

 

さて、授業現場では、どのような人がどのようなことに困っているのだろうか。

例えば耳の聞こえない人。彼らは先生の言っていることが聞こえない。生徒が質問したことが聞こえない。ここに耳の聞こえる人と聞こえない人の間に学べる/学べないの差がうまれ、教育を受ける権利をはく奪されていると言っても過言ではありません。

 

窪埼さんはその差を解消するために、要約筆記をサービスとして展開しました。

要約筆記とは、話している内容を要約したり、そのまま転記したりし、文字として情報を伝えることを指します。要約筆記サービスによって、先生の言っていることや生徒が質問したことが、ほとんど時間の差異がなくリアルタイムで伝わることで、耳の聞こえない人が耳の聞こえる人と同じように教育を受けることができるようになりました。

 

ないものをつくり、定着させる。本当に尊敬します。

第5回「その人の暮らしの主役は、その人自身」

ども、Sekoです!前回同様、介護についての記事です。

僕は福祉で社会を変えたい/困っている人を助けたいと思って、障害福祉の仕事をすることになったわけではありません。

就職活動にことごとく失敗した末に、なんとなくこの仕事を始めました。

働き始めたころ、この仕事を続けるつもりはなく、3年で辞め、実家の会社に就職するキャリア設計でした。

こんな落ちこぼれの僕が「障害福祉」にどっぷりはまり、この仕事を続けていこうと決心した出来事がありました。

 

就職しちょうど3年が経とうとするとき、その出来事は僕の前に現れました。

その出来事とは「脳性麻痺の女性が長年持ち続けた夢を叶えた」ことです。

 

障害を理由に、他人に夢を決められたくない!

ミュージックラバー、特にバンド演奏の曲が好きな彼女の夢は「バンドを組む」こと。

 

趣味でバンド演奏をしていた僕に何度も夢を語ってくれました。夢を語ると同時に、悔しかった過去の思い出も併せて語ってくれました。

彼女は学生の頃、「ギターを弾きたい」と音楽の先生に伝えましたが、「あなたは障害があるので、ギターを弾くことはできない」と言われ、ギターを持つことさえさせてもらえなかったといいます。

また彼女が社会人の頃は、ギターを習いたいと音楽教室に連絡しましたが、障害を理由に遠回しに断られました。

 

これらの体験を彼女から聞かされるたびに、僕も悔しい気持ちになりました。いてもたってもいられず、翌日、彼女の家にギターを持っていきました。

 

彼女は手を少し動かせるので、ギターをストロークしてもらい、僕はコードを押さえてギターを演奏しました。

このようなスタイルのギター演奏を何度か続けていくうちに、彼女のなかで、「バンドを組みたい」という夢が「実現が難しい遠い存在」ではなく、「実現可能と感じる近い存在」に変わっていきました。

 

「当たり前」のことが、彼女にとって「ずっと夢」だった

彼女がボーカル、僕がギター、彼女のヘルパー2名がギターとキーボードを担当するバンドを結成し、彼女が演奏したい曲を4曲選び、音楽スタジオへ行きました。

もちろんスタジオに入るのは初めて。アンプから流れる楽器の音を聞くのも初めて。生演奏に合わせて歌うのも初めて。

 

初めての経験づくしで戸惑いながらも、彼女は力強く歌っていました。

何度かスタジオに入っていくうちに、演奏が馴染んでいき、彼女の個性が詰まったバンドに進化を遂げました。

と同時に、「ライブをしたい」という思いがどんどん高まってきました。

 

ちょうど数ヶ月後に障害者と地域の人が100名くらい集まるクリスマスイベントがあったので、そこでライブをすることに。

ライブでは4曲演奏し、障害がある人もない人もごちゃまぜで音楽にノッてくれました。

演奏終了後、彼女をふと見ると、泣いていました。そしてしきりに次の言葉を言っていました。

 

「Sekoくん、本当にありがとう。私の長年抱き続けていた夢を叶えてくれて」

彼女にギターを弾いてもらい、バンドを結成し、ライブをしたことを通して……

彼女がライブ終了後に言ったこの言葉を通して……

僕は何気なく始め、何気なく辞めようと思った障害福祉の仕事を、ライフワークにしてこれからも続けていきたいと決心しました。

 

「らしい人生を送れる」ようにすることが、サポートの本質

当時僕は「何のために仕事をしているんだろう」「毎日の単調な生活支援だけでなく、もっと大きなことがしたい」と、現状に対してモヤモヤしていました。

しかしバンド活動を通して、抱いていたモヤモヤがワクワクに変わりました。

 

バンド活動を続けるなかで、彼女の「したい」が溢れているのを実感し、こう思うようになりました。

”1人ひとりの生活様式は1人ひとりの「したい」を積み重ねて出来たものであって欲しい。

また、いまの生活にはない潜在的な「したい」を発見し、それを実現し、生活様式に積み重ねていきたい。

いわば、ヘルパーの仕事はその人と一緒に生活を創っていく無限の可能性があるんじゃないだろうか”

 

ライブが終わった後に彼女から告げられた感謝の言葉は、その思いを確信に変える印象的な言葉で、モヤモヤが解消しただけでなく、仕事に対してワクワクするようになりました。

 

障害者の「したい」を「した/している」にたくさん変えていきたいし、ライブをするような、「少し挑戦してみれば出来る経験」を「長年抱き続けた夢」と思わないくらい、それぞれのしたいことを当たり前にできる社会にしたい。

そして、1人ひとりがその人らしい人生を送れるようにサポートしたい。

 

「その人の暮らしの主役は、その人」

そんな当たり前のことを忘れてしまいそうなときは、この経験を思い出し、サポートの本来の目的を再確認しています。