第5回「その人の暮らしの主役は、その人自身」
ども、Sekoです!前回同様、介護についての記事です。
僕は福祉で社会を変えたい/困っている人を助けたいと思って、障害福祉の仕事をすることになったわけではありません。
就職活動にことごとく失敗した末に、なんとなくこの仕事を始めました。
働き始めたころ、この仕事を続けるつもりはなく、3年で辞め、実家の会社に就職するキャリア設計でした。
こんな落ちこぼれの僕が「障害福祉」にどっぷりはまり、この仕事を続けていこうと決心した出来事がありました。
就職しちょうど3年が経とうとするとき、その出来事は僕の前に現れました。
その出来事とは「脳性麻痺の女性が長年持ち続けた夢を叶えた」ことです。
障害を理由に、他人に夢を決められたくない!
ミュージックラバー、特にバンド演奏の曲が好きな彼女の夢は「バンドを組む」こと。
趣味でバンド演奏をしていた僕に何度も夢を語ってくれました。夢を語ると同時に、悔しかった過去の思い出も併せて語ってくれました。
彼女は学生の頃、「ギターを弾きたい」と音楽の先生に伝えましたが、「あなたは障害があるので、ギターを弾くことはできない」と言われ、ギターを持つことさえさせてもらえなかったといいます。
また彼女が社会人の頃は、ギターを習いたいと音楽教室に連絡しましたが、障害を理由に遠回しに断られました。
これらの体験を彼女から聞かされるたびに、僕も悔しい気持ちになりました。いてもたってもいられず、翌日、彼女の家にギターを持っていきました。
彼女は手を少し動かせるので、ギターをストロークしてもらい、僕はコードを押さえてギターを演奏しました。
このようなスタイルのギター演奏を何度か続けていくうちに、彼女のなかで、「バンドを組みたい」という夢が「実現が難しい遠い存在」ではなく、「実現可能と感じる近い存在」に変わっていきました。
「当たり前」のことが、彼女にとって「ずっと夢」だった
彼女がボーカル、僕がギター、彼女のヘルパー2名がギターとキーボードを担当するバンドを結成し、彼女が演奏したい曲を4曲選び、音楽スタジオへ行きました。
もちろんスタジオに入るのは初めて。アンプから流れる楽器の音を聞くのも初めて。生演奏に合わせて歌うのも初めて。
初めての経験づくしで戸惑いながらも、彼女は力強く歌っていました。
何度かスタジオに入っていくうちに、演奏が馴染んでいき、彼女の個性が詰まったバンドに進化を遂げました。
と同時に、「ライブをしたい」という思いがどんどん高まってきました。
ちょうど数ヶ月後に障害者と地域の人が100名くらい集まるクリスマスイベントがあったので、そこでライブをすることに。
ライブでは4曲演奏し、障害がある人もない人もごちゃまぜで音楽にノッてくれました。
演奏終了後、彼女をふと見ると、泣いていました。そしてしきりに次の言葉を言っていました。
「Sekoくん、本当にありがとう。私の長年抱き続けていた夢を叶えてくれて」
彼女にギターを弾いてもらい、バンドを結成し、ライブをしたことを通して……
彼女がライブ終了後に言ったこの言葉を通して……
僕は何気なく始め、何気なく辞めようと思った障害福祉の仕事を、ライフワークにしてこれからも続けていきたいと決心しました。
「らしい人生を送れる」ようにすることが、サポートの本質
当時僕は「何のために仕事をしているんだろう」「毎日の単調な生活支援だけでなく、もっと大きなことがしたい」と、現状に対してモヤモヤしていました。
しかしバンド活動を通して、抱いていたモヤモヤがワクワクに変わりました。
バンド活動を続けるなかで、彼女の「したい」が溢れているのを実感し、こう思うようになりました。
”1人ひとりの生活様式は1人ひとりの「したい」を積み重ねて出来たものであって欲しい。
また、いまの生活にはない潜在的な「したい」を発見し、それを実現し、生活様式に積み重ねていきたい。
いわば、ヘルパーの仕事はその人と一緒に生活を創っていく無限の可能性があるんじゃないだろうか”
ライブが終わった後に彼女から告げられた感謝の言葉は、その思いを確信に変える印象的な言葉で、モヤモヤが解消しただけでなく、仕事に対してワクワクするようになりました。
障害者の「したい」を「した/している」にたくさん変えていきたいし、ライブをするような、「少し挑戦してみれば出来る経験」を「長年抱き続けた夢」と思わないくらい、それぞれのしたいことを当たり前にできる社会にしたい。
そして、1人ひとりがその人らしい人生を送れるようにサポートしたい。
「その人の暮らしの主役は、その人」
そんな当たり前のことを忘れてしまいそうなときは、この経験を思い出し、サポートの本来の目的を再確認しています。
第4回「一緒に全力で遊ぶことで「その人らしさ」が表現できるように」
ども、Sekoです。
記事の更新が遅れてしまいました。。
さて以前の記事でも書きましたが、ヘルパーの役割は「あたりまえの生活を支えること」です。あたりまえの生活の「生活」とは、生命維持×社会活動のこと。
「生」はご飯を食べる、排泄する、就寝するなどの「生命維持」。
「活」は遊びに行く、仕事をする、飲みに行くなどの「社会活動」を指します。
遊びの時間は、利用者さんの自由な意思をかたちにする瞬間。「その人らしさ」が最も現れる時間です。買い物に行く、家でぼーっとする、食べ歩きをする、好きなアーティストのコンサートに行く、溜まった録画したテレビ番組を観る、友達と飲みに行く、スポーツをする、旅行する……1人ひとり「らしさ」が違うように、遊びの方法も1人ひとり違います。
『遊びをしている時間をその人と一緒に、全力で楽しむ』
ヘルパーの仕事をするうえで、大切にしている考えの1つです。
仕事と割り切ったそのサポートは、本当に求められているものですか?
ヘルパーが利用者の遊びの時間を「仕事」として割り切り、支援する側の役割を徹底的に守ったとします。そのことで相手につまらなさそうに感じさせたり、一緒に遊ぶことを断ったりしたら?利用者の楽しさは半減してしまいますよね。
これは、その人らしさが出る遊びの場を奪い、その人らしくない時間を過ごすのを強いることに繋がっているかもしれません。
例えば、軽度の知的障害者と一緒にカラオケに行ったとします。
その時ヘルパーが遊びの時間を完全に仕事と割り切り、その人が歌いたい曲を歌うようサポートすることに徹底したとします。その人から「歌ってよ」とお誘いがあってもヘルパー自身は「仕事だから」と断ったり、その人が歌っている間に次に歌いたいであろう曲を選んだり。相手がカラオケを楽しむことをサポートしていますが、利用者さんが望んでいる「一緒にカラオケを楽しむ」遊びをしているとはいえません。
もちろんこのようなサポートを望んでいる人もいますので一概に言えません。しかし「歌ってよ」とお誘いがあれば歌ったり、その人が歌っているところに合いの手を入れて盛り上げたり、全力で一緒に楽しむようにサポートをする心掛けが重要だと思います。
その人らしさを引き出す、楽しみ方の3つのポイント遊びを一緒に楽しみ、その人らしさを存分に発揮させられるように、大切にしていることが3つあります。
■ 利用者さんのいまの感情を共有し、感情の表現に同調する
喜びや悲しみなどの感情を理解しあえると、人と人の距離感は近くなり、人間関係も良好になります。反対に、喜んでいるのに悲しむ・悲しんでいるのに喜ぶなど相手と感情を対比させると、その場の雰囲気が楽しくなくなるし、人間関係も悪化します。それだけではありません。感情の表現は十人十色で、例えば「楽しい」感情の表現方法も、「わー」と声を出して表現する人もいれば、笑顔で表現する人もいるし、心の中だけで表現する人もいます。ヘルパーが相手の表現方法と同じような行動を取ることで、その人の楽しさは増していくのではないでしょうか。
■ 利用者さんの好きなものや趣味に関して事前に調べる
好きなものや趣味を知ることで、共通の話題が増え、会話が弾みます。また、ここに行きたい・これがしたいという意思をなかなか持てない人、もしくは意思を伝えるのが苦手な人には、好きなもの・趣味をベースに提案することができます。それは遊びの幅を拡げることに繋がるのです。
■ 自分自身の引き出しを増やし、人間力を高める
他者の生活をサポートすることに、たったひとつの正解はありません。臨機応変さが求められ、サポートする側の人間力が試されます。人間力とはその人の総合的な魅力のこと。人間力の高い人は「らしさ」の深みがあり、物事への対応力が高く、誰とでも親しくなるコミュニケーションスキルを持っていると僕は思います。人間力を高めるのは「好奇心×探求心」。物事に興味を持つ「好奇心」を右手に、物事を深く知ろうとする「探求心」を左手に持ち、たくさんの経験を積み重ねていき、引き出しを増やしていくことで人間力が高まります。
僕はこれら3つを意識することで、その人の遊びをより楽しいものとし、より「らしさ」が表現できる環境にしています。
「落ち着ける遊びの場を維持し、提供する」「好きの視野を広げ、選択肢を増やす」
その両方の視点を意識し、その人らしさが存分に現れる「遊び」を一緒に楽しむのも、ヘルパーの大切なお仕事です。
第3回「「失敗する機会」を生み出す余白のある介助を」
おはようございます!七草粥を食べ損ねましたSekoです。
さて、今回もヘルパーの仕事に関してのお話。ぼくが障害者ヘルパーになりたての頃、「何でもしてあげます」マインドに陥ったため、脳性マヒの身体障害者に怒られたことがあります。
彼は四肢がほとんど動かない、いわゆる重度の身体障害者ですが、ヘルパーを利用して1人暮らしをしています。住みたい場所に住み、食べたいものを食べ、やりたいことをやり、彼らしい生活を過ごしています。
彼はもともと障害者施設に入所していました。
「施設で住んでいたときは、ほとんどの行動は職員の責任になっていた。地域で住むということは、全ての行動が自分の責任になるってことや。覚悟は出来ているか」
障害者施設から地域生活へ移行するときに、施設職員から言われたのがこの言葉。
以来ずっと胸に残っており、この言葉を通して「失敗をする機会」を大事にするようになったそうです。
僕は非常に葛藤しました。彼の失敗が怪我や病気を引き起こし、それが介助者のミスになってしまうかもしれなかったからです。
しかし彼に「オレから失敗する機会を奪うな」と怒られてからは変わりました。
失敗=彼自身のミスであり、介助者の失敗とは「彼の意思を尊重しなかったこと」。そう意識転換して、彼に接するようになったのです(もちろん怪我や病気を引き起こす失敗は起こさないよう介助しています)。
目的地へ行くとき道に迷う、彼の分量通りに作った料理がまずい、電動車イスの電池が切れて動かない、お金を使い込んだ……彼の生活には、こうして毎日何かしらの失敗が起こっています。
彼と一緒にフォークシンガーのライブを東京まで見に行ったときは、失敗の連続でした。自宅から駅に行くバスを逃し、30分くらい歩いて駅に到着。新幹線にギリギリで間に合いました。
ライブハウスには「重量300kgの電動車イスでも来店可能」と言われていたのに、会場で待ち構えていたのは「地下へと続く20段の階段」。店員やお客さん、アーティストに持ち上げてもらい、会場へ入ることができました。
ツインベッドの部屋を予約していたはずが、実際はダブルベッド。不随意運動で投げ下ろされる手をよけながら、彼と同じベッドで寝ました。
それ以外にも、些細な失敗はたくさん起こりました。
タイムスケジュールをきちんと考えたり、お店やホテルへの最終確認をしたり……僕が率先してサポートしていれば、これらの失敗は発生しなかったと思います。
でも、僕はそのサポートをしませんでした。彼から「失敗」を奪いたくなかったからです。失敗がない生活なんて違和感があるし、まるでヘルパーに操作された生活のようですよね。その人らしい生活を、送れていない気がします。
失敗がその人らしさをあらわし、その失敗の積み重ねが唯一無二のその人らしい生活を形づくるのです。
「全てしてあげる」精神から脱却し、「失敗する機会」を生み出す余白のある介助を。
身体的に「できる/できない」を把握し、できないことをサポートします。できることは、可能な限り自分でやってもらいましょう。
精神的な「する/しない」を把握し、その人の行動の意志をできうる限り尊重します。
そうすればQOL(生活の質)が向上して、その人らしい生活を要介助者主体で過ごすことが出来ます。
その環境を整えて実行し続け、その人らしい生活をともに創っていくこと。
それこそが、ヘルパーの仕事なのです。
(過去に寄稿したコラムを修正した文章を載せています)
第2回「あたりまえの生活をサポートする」
おはようございます!Sekoです。
大学卒業から障害福祉の業界に入り、もうすぐ8年目になります。
「ヘルパー」という言葉を聞いて、みなさんはどのようなことを想像しますか?
料理を作る人、掃除をする人、食事介助をする人、入浴介助をする人、トイレの世話をする人… いわゆる身の回りの世話をする人のイメージを抱く人が多いと思います。
これらのイメージはほとんど正解です。ヘルパーの業務は、食事や入浴の介助などを行う「身体介護」、掃除や食事作りなどを行う「生活援助」、利用者の望む生活を一緒に考えて創っていく「相談・助言」の3つで、総称して「ホームヘルプサービス」と呼ばれています。
さて、僕の所属している障害者支援のNPO法人は、大きく分けて2つのことを行っています。1つは「障害者の生活支援」で、ヘルパー派遣とデイサービスを行い、障害者の生活を直接的に支えること。もう1つは「障害者と地域をつなげること」で、イベントや学習会、宅幼老所やカフェを行い、支える人を増やし、育てて、障害者の生活を間接的に支えています。
障害者ヘルパーは前述のホームヘルプサービスに加えて、次の2つの特徴があります。それは「長時間のサービスがあること」と「外出のサービスがあること(=ガイドヘルプサービス)」です。
入浴介助や短時間の家事などのピンポイントのサービスだけでなく、家事や、見守り、生活全般の介助や買い物や遊びに行く外出サービスもあり、どんな障害をもっていても、「あたりまえの生活」を過ごせるようにサポートを行います。
「あたりまえの生活」の生活とは、生命維持×社会活動のこと。
「生」はご飯を食べる、排泄する、就寝するなどの「生命維持」。「活」は遊びに行く、仕事をする、飲みに行くなどの「社会活動」という意味で、「生命維持」も「社会活動」もサポートすることが障害者ヘルパーの大切な目的の1つです。どちらの要素も満たされることで、あたりまえの生活を過ごしているといえると思います。
僕は、20代後半のある男性の外出サービスに3年以上入っています。彼は軽度の知的障害者でアスペルガー症候群のため、複雑ではない文章でのコミュニケーションを取ることができますが、相手とコミュニケーションを取ること、特に「意思を伝えること」が苦手です。
彼のサポートに入り始めた頃は、外出先をいくつか提案しても「どこでもいい」と投げやりな返答で、外出もあまり楽しそうではありませんでした。
どうにかして彼に意思を持ってもらいたいと思い、まずはとことん彼と話すことにしました。何度か話す場を設けるうちに、彼はお酒が好きなことが分かり、「じゃあ今度、一緒に居酒屋に行きましょう」と提案すると、少し笑顔で「はい」と答えました。
1週間後、彼と居酒屋へ行き、仕事や趣味、悩んでいることや嬉しかったことなど色々とお話しました。彼は少しずつ意思を伝えるようになってきましたが、まだ僕からの質問に応じるかたちとして意思を伝えているだけで、彼からの発信での意思は聞いたことがありませんでした。
彼と居酒屋へ行くようになってから数ヶ月が経ったある日、彼が言いました。
「オクトーバーフェストに行って、ドイツのビールを飲みたい」。
僕は「初めて自発的に意思を伝えてくれた!」と嬉しく思い、すぐに予定を調整し、彼とオクトーバーフェストへ行きました。
この日以来、彼が自発的に意思を伝えてくれることが多くなり、彼らしい生活を彼と一緒に創ることができました。
他者の生活に入り込み、生活全般のサポートをすることの大変さやコミュニケーションの難しさはありますが、その人の生活がその人らしく変わっていく嬉しさや、その人の行動や経験を疑似体験できる面白さ、自分とその人の考えの違いに触れる驚きを得ることができる仕事。それが、「ヘルパー」という仕事なのだと思います。
(過去に寄稿したコラムを修正した文章を載せています)
第1回「ぼくの生活は、4つのキーワードで説明できるかもしれない」
みなさん、はじめまして!Sekoです。
障害福祉と音楽と子育て、ときどきイベント。この4つのキーワードで、ぼくの生活はほとんど成り立っている気がします。
さて、ブログをついに開設しました。
実は今年の秋に、某大学で特別授業を2回することになりました。
そのテーマがメディア。障害福祉の仕事と並行しつつ、様々な活動をしたり、発信をしたりしていることに白羽の矢が立ったのか、特別授業でお話してほしいと依頼がありました。
直接的なアプローチとしての介護サービス/間接的なアプローチとしての対外的な活動や発信。これらの2つのアプローチから「障害があっても、その人らしく暮らせる社会に」していきたいのです。
その発信の実践の場としてSNSやコラム掲載をしていますが、(大学での授業のトーク材料を増やすという打算的な目的も含みつつ、)発信の実践の場/実験の場をさらに拡げようと思い立ち、ブログをスタートすることに決めました。
障害福祉と音楽、それにイベントなどの活動を書くテーマとした記事を定期的に更新し、このブログをつくっていきます。
以下、自己紹介です!みなさん、これから宜しくお願いします。
『障害があっても、その人らしく暮らせる社会に』を軸とし、日々生活をしています。
□ 障害者支援のNPO法人 事務局/コーディネーター/介護福祉士
ヘルパーやデイサービスの現場スタッフ、シフト調整、ケアプラン作成、重訪講師、採用活動などをしています。
真面目に面白い企画を打ち出し、色んな人が交流できる機会を生み出しています。
医療福祉エンターテイメント集団Ubdobe(ウブドベ)の関西支部長とし、関西福祉を盛り上げています。
介護のお仕事研究所と障害者ドットコムにて、コラムを定期的に掲載しています。
あのとき感じた思いや出会った人、知ったことがあなたのスイッチを押し、「いま」がつくられ、「これから」をつくっていく。そんなアントキのスイッチが存在するきっかけをつくっていく団体を2017年1月立ち上げました。
□ 作曲
知人の自主映画に使用する曲を作るために、2015年よりDTMをやり始めました。趣味程度でときどきつくっています。
□ ギター
15歳の頃、GoingSteadyのライブを観て、「音楽は人を変える」と感動し、ギターを始めますが、Fコードにつまづき、ドロップアウト。最近はバンドを始めたり、友人とセッションしたり、ギターを演奏する機会が増えてきました。
□ カエル